Girls TALK #1
Theory and Psychology of Girls Relationship
2007年8月制作
解題
初出時の後記(抜粋)
今回の話を描くにあたって前回から二年半の間が空いてしまったのは割と偶然なのですが、ともあれ、西野が以前に描いていたものは、いわゆる百合マンガで、基本的には登場キャラクター二人が小さなイザコザの末に両想いになってハッピーエンド、という話が大半でした。そういうベタな展開の恋愛マンガ(周辺にはしばしば「ちゅっちゅまんが」(笑)と呼ばれる)は個人的にはそう嫌いじゃないし、だからこそわざわざ描いていたわけなのですが、しかし一方で、そういう話を描き続けてゆくうちに、どうもこれでは収まりが悪いと感じるようにもなっていました。そのへんはいろいろ考えたのですが、要は、これまで描いてきたちゅっちゅまんがでは、キャラクター間の恋愛感情が最終的には少しの欠落もなく伝わるという、感情の相互交流可能性みたいなことがほとんど自明に前提視されていて、どの話でもラストでは二人が感情的に同一化を果たして結びつくという、非常におめでたい(おめでたすぎる)展開になっていること。したがって中間はともあれ、ラストはみんな似たような展開になってしまうこと。こうした点に非常に違和感を覚えるようになってきていたのでした。ですから、今回の話は、そのへんの違和感を多かれ少なかれ解消したものにしようという、そういう問題設定から出発したわけです。
ですから、今回の話は、それまでさんざん描いてきた恋愛マンガ(ちゅっちゅまんが)に対する修正ないしは反動として構想されたわけです。[……]そういう経緯のうえで描いたわけですから、今回の話は、土台から全面的ならぶらぶちゅっちゅハッピーエンドになるはずがなかったわけです。恋愛感情の全面的な相互交流可能性を否定するところから始めたわけで、今回の話をいままでのように百合マンガとは呼ばない理由の一端もここにあります。
今回はそのかわりに、恋愛感情のコミュニケーション不可能性からくる、きわめて個人的な不安と、自分勝手な感情の一方的な発露とを、いくぶん強調して描いたつもりです。涼子も李花も、相手を好きという感情は十分に持っている。しかしそういう感情がまったく個人的な内面にのみ留まってお互いの媒介要素とはなり得ず、むしろ逆にそこから不安の感情のほうが優越して出てきて、けっきょくいびつな関係(権力関係)が生じてくる。涼子が李花を暴力でつなぎとめていたのは、愛情ゆえではなく不安ゆえであって、その関係は時間の経過とともにいくぶんのゆらぎを生じるけれども、けっきょく最後の最後まで一定のいびつさを保ったまま、全面的に解決されることはない(あるいは関係状況そのものが崩壊する)。今回の話の基底をなしていた考え方はこういうものです。ですから、今回の話はほとんど恋愛否定マンガのつもりで描いたという。ラストは"To Be Continued…"になっていますが、あれはあくまで便宜的なもので、気分としてはこれで話は終わっているつもりです。
ただ、そうは言っても、いままでのクセがありますから、出来上がったものはけっきょくほとんど以前のちゅっちゅまんがと変わらない展開で進むイザコザマンガなわけで、変わったものといえば、ラストの処理の仕方くらいのものです。「二人が小さなイザコザの末に両想いになってハッピーエンド」の後半部分を丸々欠落させただけと言ってもいいかもしれません。そういう意味では、背景的事情や動機の強さの割には工夫も足りないし、たしかにつまらない話だと言われるのもやむを得ないかもしれません。ただ、やはり個人的には、あのちゅっちゅまんがの「収まりの悪さ」(もっと端的に言えば「ばかばかしさ」)の呪縛から少しでも脱出できたという点で、ある種の強い達成感があるわけです。
